2006年7月23日

「安定的な拡大教科書供給を目指して」

筑波大学附属盲学校
宇野和博

1.ボランティアの応需能力を超えた拡大教科書のニーズ

 弱視児のための拡大教科書製作を巡る環境はこの数年間で大きく改善されてきた。2003年6月には、数年来に及ぶ当事者やボランティア等の要望、及び理解ある国会議員の働きかけを受け、著作権法が改正された。この改正によりボランティアの場合は教科書協会にFAXすれば、著作権者に許諾を得なくても拡大教科書の製作作業に取り掛かれることになった。出版社の場合も、補償金を支払わなければならないものの許諾を得るという作業は免除されることになった。
 また、2004年度からは通常の小、中学校でも拡大教科書が国費で無償給与される道が開けた。盲学校や弱視学級でも出版されている拡大教科書のみならず、ボランティア製作の拡大教科書も国費で保障されることになった。
 これらの流れを受け、全国の弱視学級や通常の学級に在籍する弱視児からの製作依頼がボランティアに殺到することになる。その結果、製作作業がパンクし、依頼を断らざるを得ない事態に陥ったのである。全国の拡大写本ボランティアの窓口である全国拡大教材製作協議会によると、2004年度は依頼の6〜7割しか製作ができず、2005年度においては新規の依頼数168件に対して43パーセントしか応需できなかったということである。
 そもそも全国にはどのくらいの拡大教科書を必要とする子どもたちがいるのだろうか。数年前のデータになるが、全国の盲学校の小・中学部に在籍する弱視児は487名。弱視学級には267名の子どもが在籍しているということである。また、小、中学校の通常の学級に在籍する弱視児数は1739名という調査結果も明らかになった。これらの合計は2493名となるが、高校段階まで含めた弱視児童・生徒数を概算で推測すると3200名程度ということになる。
 まず、2004年度から無償給与を受けられることになった小・中学校の通常の学級に在籍する弱視児に焦点を絞り、その実情を分析してみる。同年度に拡大教科書の無償給与を受けたのは1739名の内、518名に留まった。この1739名というのは眼鏡等を使用しても通常の教科書を読むのに何らかの困難がある子どもの数であることから考えると、1221名の弱視児はその見えにくさを自ら工夫し、克服しているか、教科書を読むことそのものがハンディとなっていることが想定される。この1221名の存在も問題だが、518名の中でもすべての子がボランティアによるオーダーメイドの教科書を入手できたわけではない。手作りの作業ができないため、拡大コピー版でしのいだケースもあれば、過去に別の弱視児のために製作された教科書を増刷してもらったケースもある。盲学校用に発行されている拡大教科書とたまたま教科書出版社が一致したため、それを利用したケースもあった。もちろん、このような供給でも本人のニーズに合っていれば問題ないわけだが、必ずしもそうではなく、残された手段がそれしかなかったという声も少なからずあった。
 それでは、視覚障害教育を専門とする盲学校や弱視学級はどうなっているのだろうか。実は盲学校ですら拡大教科書保障はまだまだ不十分と言わざるを得ない。2001年度において拡大教科書が出版されていた教科は国語と算数・数学のみ。2002年度から筑波大学附属盲学校の英語科が英語の拡大教科書に着手。2003年度から(株)キューズが理科と社会の拡大教科書に着手し、2004年度にようやく小・中学部の主要教科において拡大教科書が揃ったという状況なのである。しかし、これらの主要教科以外の教科書は未だに出版されておらず、高等部段階においては皆無という状況である。そこでやむを得ず盲学校の弱視児でもボランティアに依頼しているケースも一部にあるが、前述の通り、ボランティアはパンク状態にあるため、これ以上膨大な作業を依頼できるような状況ではない。このような状態が故に副教材や参考書、問題集などにはほとんど手がつけられていない。また、高校段階の拡大教科書製作には現状のボランティアの数では到底手が回らない。
 更に近年、養護学校からの問い合わせも増えてきている。知的に障害のある子どもたちにとっても大きな字の教科書は興味、関心を引くことがあったり、車椅子から読書する時に視距離があっても読みやすいということである。また、LD等の軽度発達障害児にとっても効果的なのではないかという声も寄せられており、そのニーズはますます膨らんできている。


2.理想的な解決である「自社出版」

 ボランティアが現実的にこれ以上拡大教科書製作を応需できない現状があるとはいうものの、弱視児にとって教科書が読めないという状態をいつまでも放置しておいてよいはずはない。この需要と供給の極端なアンバランスを解消するにはどうしたらよいのだろうか。それは、文部科学省がリーダーシップを発揮し、出版社を巻き込んだ安定的な供給体制を構築することである。憲法にある教育を受ける権利を平等に保障するという観点からも必要な措置と言えるだろう。理想的には、拡大教科書の発行を教科書会社に義務付けることが求められる。仮に教科書会社が22ポイント版の拡大教科書を出版すれば、約7割の弱視児童・生徒のニーズに応えられる。その他のニーズについては現状のボランティアでも需要と供給のバランスが取れると思われる。教科書会社が30ポイント程度の拡大教科書も併せて出版してくれれば、ほぼ弱視児全員のニーズをカバーできるものと考えられる。そうなれば、ボランティアは、副教材等の拡大に取り掛かることも可能になってくるだろう。
 この拡大教科書の自社による出版義務付けについて2006年3月18日の参議院文教科学委員会において、文部科学省は次のように答弁している。

「文部科学省としても、各教科書発行者に対して、拡大教科書の作成について取組を促しているところでございますけれども、まだ各教科書発行者が拡大教科書を発行するというところまでは至っていないのはただいま先生からお話があったとおりでございます。新たな義務を課すということになりますと民間の企業に対して規制を掛けるということになるわけでございますので、直ちにはなかなか難しい状況にはございます。ただ、私ども、一日も早く必要な児童生徒に拡大教科書が給与されることを目指しまして、各教科書発行者と具体的な方策について検討していきたいと、こう思っております。」

 この答弁内にある「新たな義務を課すということになりますと民間の企業に対して規制を掛けるということになるわけでございますので、直ちにはなかなか難しい」という論理だが、日本の将来を担う子どもたちの教育行政をあずかる文部科学省の答弁としてはいささか消極的なのではないだろうか。そもそも文部科学省は初等中等教育局内に教科書課を置き、教科書に関する法律を所管し、民間の出版社に対し、検定や定価設定などのさまざまな規制権限を持っているのである。国土交通省は交通バリアフリー法やハートビル法で民間の業者に対し、エレベーターやエスカレーター、スロープや手すりなどの設置を義務付けたり、障害者の様々なアクセシビリティを確保するよう義務付けている。教育分野においてもせめて「教科書バリアフリー」は国の責任で実現できないものだろうか。
 遠山元文部科学大臣は2003年5月22日、参議院文教科学委員会において「学校教育の現場において、現に弱視である子供たちが例外なく拡大教科書が使えるようにしていくというのは、私は行政の責任だと思っております。その角度から、子供たちにとって最もいい方法でこの問題を解決をしていく必要があると私は思っております。」また、同年6月11日、衆議院文部科学委員会において「いろいろな、どこでつくるかとか、どんなふうにつくるかとか、研究が必要な面もございますけれども、できるだけ早い機会に、できれば来年の四月から子供たちが親御さんの負担を経ないで適切な拡大教科書が使えるように、来年の春から弱視の子供たちの笑顔が見られるように、何とかしたいと思っております。」と答弁されている。
 河村元文部科学大臣も2004年3月17日、衆議院文部科学委員会において「現時点については、ボランティア団体の御理解と御協力をお願いいたしておるところでございまして、当面そういう形で、今回、この制度、対応したわけでございます。しかし、本来的には、委員のおっしゃるとおり、学校において責任を持ってやる部分というのはたくさんあると思うんですね。そういう視点に立って、これにはきちっと対応できるように、今後どういう形でやっていくか検討しながら対応してまいりたい、こういうふうに思います。」同年5月28日、同委員会において「これからも、やはり特に義務教育段階においては、憲法の精神にのっとりながら、児童生徒すべてに、国が最終的な責任を持って、そして適切な教育を受けられるように、教育環境の整備、きちっと努めてやりたい、このように考えております。」と答弁されている。
 中山前文部科学大臣も2004年12月1日、衆議院文部科学委員会において「障害のある児童生徒については、障害の状態に応じましてその可能性を最大限に伸ばす、そして自立して社会参加するために必要な力を培うというために一人一人の状態に応じた適切な教育を行う必要がある、これが重要であると考えております。また、教育の機会均等を保障するため、障害のあるなしにかかわらず、義務教育を受けている児童生徒すべてに対して国は最終的な責任を持っているものとも考えておるところでございます。今後とも、すべての児童生徒一人一人が十分に適切な教育を受けられるよう、教育環境の整備に努めてまいりたいと考えておるところでございます。」と答弁されている。


3.デジタルデータの提供

 前述の理想的な解決が将来的には望まれるが、それが当分の間困難ならば、少なくとも教科書会社に教科書のデジタルデータの提供を義務付けることが求められる。現在、ボランティアや別の出版社は教科書の文字を一文字一文字書き写したり、パソコンに入力したりという作業から始めなければならない。その後、誤植の確認のため何度も校正を繰り返すことになる。しかし、教科書データがあれば別の出版社でもボランティアでも今よりはずっと容易に拡大教科書を製作できるようになる。但し、編集作業に盲学校教員等の専門家が関与することは必要だが、入力の手間が省けるだけでなく、誤植もなくなり、肝心の編集に時間と労力を費やすことができるようになる。結果的に拡大教科書の製作量を増やすことにもつながっていくと考えられる。また、現在は写真や図表もスキャナーで読み取ってコピーしているため、鮮明度が失われることもあるが、それも合わせて解決できる。
 このデジタルデータの提供について文部科学省は次のように参議院文教科学委員会で答弁した。

 「教科書のデジタルデータの提供につきましては、三月の本委員会におきましても御指摘をいただいたところでございます。私ども、その審議を踏まえまして、社団法人教科書協会に対しまして加盟各社にデジタルデータの提供について協力要請をするよう指示をいたしまして、教科書協会は、四月四日付けで加盟各社に対しまして国会での議事録を添付して協力要請の文書を発出をしたところでございます。(中略)さらに、ボランティア団体の方々にとりまして使い勝手の良いデジタルデータとすべての教科書のデジタルデータが提供されるように、社団法人教科書協会に対しまして早急に検討するように今指示をいたしております。教科書協会は、四月の十日に著作権専門委員会を開催をいたしまして、提供するデータの内容、提供する教科書の種類数が改善されるように検討を開始をしたと承知をいたしております。いずれにいたしましても、義務付けというのはなかなか難しい状況もあるわけでございますが、このデジタルデータの提供につきまして、私どもとしても最善の努力をしてまいりたいと思っているところでございます。」

 また、小坂文部科学大臣も次のような前向きな答弁を行った。

 「本当に活字と同じように手書きで努力をされて読みやすいように作っているとか、大変な御苦労をいただいております。今、OCRとか読み取り機で電子的にデータをデジタルデータにして、そして拡大して印刷するということは可能だとは思いますが、それでも正誤訂正の努力とか相当なマンパワーが掛かってまいります。そういうことからすると、今答弁、局長が申し上げたように、デジタルデータを提供していただければ、それが一番簡単なわけでございますから、拡大教科書を発行しない場合にはデジタルデータを積極的に提供してほしいと。これは義務化するのはやはり、ビジネスとしてやっている教科書の出版社に対して私は命令することはできませんが、私の名前でもう一度、この委員会で積極的に答弁したということで、再度担当の方から教科書協会に対して依頼を出すということで、これを積極的にやってもらえるように私も努力したいと思います。」

 教科書出版社に対し、大臣名で依頼文書を出すというこの小坂大臣の前向きな答弁は、義務付けではないものの完全な教科書デジタルデータの提供に向けて大きな一歩を踏み出したと言える。教科書協会や出版社も文部科学大臣からの依頼に対し、積極的に対応されるであろう。しかし、理想的な自社出版体制と違い、このデジタルデータ提供だけでは、安定的な拡大教科書供給までにいくつかの障壁が残ることになる。

@提供されたデジタルデータを誰がレイアウト編集し、最終的に教科書として印刷製本するのか。
・これらの作業を既にパンクしているボランティアがすべて担うことはほぼ不可能である。そうなると、印刷製本を業とする出版社に発行してもらうのが合理的と考えられる。幸いなことにデジタルデータがあれば、オンデマンド印刷という技術を用い、1冊でも印刷製本することが可能になっている。しかし自社出版でない限り、この出版社の公募や割り振り等のコーディネートを行う機関が必要となるのである。

A別の出版社がどのように原本教科書とデジタルデータを入手するのか。
・現在、ボランティアが拡大教科書を製作する場合は、教科書協会にFAXすれば、各教科書出版社から全国拡大教材製作協議会が指定する3つの拠点に原本が送付され、その3拠点から各ボランティアグループに教科書が転送されるというシステムができている。しかし、既にこの3拠点が作業負担に悲鳴を上げており、ボランティアからも改善の声を求める声が上がっている中、更に出版社分まで負担を課すのは非現実的である。今後、デジタルデータの提供も付加されてくることを考慮すればこのシステムも抜本的に見直す必要があるだろう。これからは出版者であれボランティアであれ、教科書協会にfaxすれば教科書出版社からダイレクトに原本教科書とデジタルデータが拡大教科書発行者に送付されるようにすべきであろう。

B別の出版社が検定教科書の著作権者に対し、どのように補償金を支払うのか。
・著作権法第33条で、出版社が拡大教科書を発行する場合、著作権者に使用許諾を取ることは免除されているが、ボランティアと違い、補償金の支払い義務は課せられている。しかし、一般図書と違い、教科書は何十人にも及ぶ著作権者が存在する。そのすべての著者、画家、写真家当の連絡先を調べ、補償金を支払うことは自社でなければ相当な事務負担を要する。この補償金支払い事務だけでも原本教科書出版社が代行してはどうかという提案に対し、小坂文部科学大臣は2006年6月9日、 衆議院文部科学委員会において次のように答弁している。

「教科書の補償金の振り込みなどの手続を教科書発行社に代行させることはできないのか、こういう形でございますが、これは、御指摘のとおり、民民の関係でございますし、また同時に、本来、著作権を使用する出版社がこれを行うことが権利者との間の契約という観点から必要でございまして、これを代行という形でここに第三者を介入させることは、やはりこれはちょっと無理があるということで、現状では無理だということをお答えせざるを得ない、こう思っております。」

 それでは、せめて著作権者の一覧表の提出をお願いできないかという質問に対しては次のように答弁されている

「現在、そういった出版社からの実情を伺いながら、各教科書発行社が、著作権者の一覧表を提出することについて、これは、必要に応じて教科書協会に検討を要請してまいりたいと考えておりますので、そういった実情が生じたときに直接的にまた担当させていただきたい。」

 他社出版にすると、このようにいくつかの問題や足かせのような課題が生じることになる。これらの障壁は自社出版体制にはなく、データ提供に伴う著作権の問題も解決できるのである。こう考えてくると、他者出版体制の問題を解決していくよりは、1日も早く自社出版体制を整えた方が合理的であり、安定的で継続的な拡大教科書供給への近道であると言えよう。発行責任は検定教科書出版社が負うものの実際には実績のある業者に下請けに出すことも可能であるし、盲学校教員や熟練ボランティアに協力要請することも可能であろう。費用は国費保障であるため、赤字になることはない。


4.ノーマライゼーション時代の教育バリアフリー

 2006年6月、文部科学省は障害児教育の考え方を特殊教育から特別支援教育に転換し、学校教育法の一部改正を行った。この特別支援教育の理念は一人一人の教育的ニーズを把握し、それに応えていくというものである。この理念に基づけばすべての子どもが教科書を読めるという環境を整えることは緊急の課題と言えよう。この改正案が衆参の委員会で成立する際に付帯決議も併せて決議されているが、拡大教科書に関する事項が衆議院文部科学委員会では8項目中1項目、参議院文教科学委員会では11項目中2項目に盛り込まれた。これらの決議に従い、1日も早く日本にいる全ての弱視児に適切な拡大教科書が手渡ることを切望している。

衆議院文部科学委員会付帯決議
・障害のある子どもの学ぶ機会を阻害することのないように、一人一人のニーズに対応した教科書をはじめ、教材、教具の研究と開発に努めること。また、その自己負担の軽減に努めるとともに、特に拡大教科書の普及と充実を図ること。
参議院文教科学委員会付帯決議
・教材・教具の研究開発とその普及に努めること。特に、視覚障害者への拡大教科書の普及充実を図ること。
・就学奨励費等、障害のある子どもへの支援措置に関しては、高等学校の拡大教科書の自己負担軽減など、必要な具体的支援を把握しつつ、総合的な検討を進めること。
 

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