2007年3月30日

「特別支援教育と教科書バリアフリー」
ー拡大教科書の問題を中心にー

筑波大学附属盲学校
宇野和博

 障害児教育をめぐる情勢は大きな転換期を迎えている。昨年末の第165回国会では、教育基本法が改正され、第四条に「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」という条文が新規に定められた。第164回国会においては、学校教育法の一部が改正され、障害児教育の考え方は「特殊教育」から特別支援教育へと改められた。この理念は「障害のある児童生徒の視点に立って一人一人の教育的ニーズを把握し、必要な支援を行う」というものである。また、各都道府県教育委員会には、拡大教科書・点字教科書に関する相談窓口が設けられた。そして、2007年度は「特別支援教育元年」と言われているがこの法制度の下で視覚に障害のある子どもたちの教科書はどうあるべきか、拡大教科書の問題を中心に考えてみる。


1.小坂前文部科学大臣からの要請
 特別支援教育の理念に基づけば、障害のある子どもたちにもそれぞれのニーズに応じた利用しやすい教科書が供給されるべきというのは言うまでもない。これまで弱視児のための拡大教科書製作の大半を担ってきた拡大写本ボランティアが既にその応需能力を超え、これ以上受注できないという悲鳴をあげている今日、出版社を巻き込んだ安定的な拡大教科書供給体制を構築することは急務である。
 そこで、小坂前文部科学大臣より2006年7月27日、次のような書簡が各教科書発行者に発出された。

「(前略)教科書発行者や拡大教材製作会社から発行される拡大教科書が少なく、多くがボランティア団体の方々によって製作されている現状を改善すべきであるとの指摘や、提供されるデジタルデータの種類が少なく、その内容も十分ではないとの指摘がなされ、先の国会においても質疑が行われたところです。(中略)また、先の参議院や衆議院における学校教育法の一部を改正する法律案の採決に当たり、「視覚障害者への拡大教科書の普及充実を図ること」との付帯決議もなされたところです。各教科書発行者におかれては、このような状況を踏まえ、拡大教科書の発行についてご検討をいただくとともに、拡大教科書を発行しない場合はデジタルデータを積極的に提供していただくなど最大限の取り組みをお願いいたします。」

 この大臣要請から、半年以上経つが、未だ教科書協会からの正式な回答はない。しかし、子どもたちにとって1年1年はかけがえのないものであり、待ったなしの状況は今も続いている。


2.望まれる拡大教科書出版とは?
 それでは、国はどのように拡大教科書保障を進めるべきなのか。現在、拡大写本ボランティアは、一文字一文字手書きで書き写したり、パソコンに入力したりという作業に加え、写真や挿し絵をスキャナーで読み取ったり、切り張りするという作業を続けている。また、椛蜉字のように別の出版社が発行した教科書を拡大教科書として出版している場合でも、スキャナーで文字を読み取り、誤植がないか何度も校正するという作業を行っている。検定教科書出版社から完全なデジタルデータが提供されればこのような負担は軽減され、正確かつ効率的な編集が可能となるが、その一工程の改善だけでは、全体の解決にはならない。詳細は「出版ニュース」(2006年8月下旬号)参照。
 そこで、理想的な解決策である検定教科書出版社による拡大教科書の発行について考えてみる。まずここで、どのような拡大教科書が求められているのか、整理しておきたい。小さな文字が見えにくいのであれば原本教科書を単純に拡大コピーのように版を大きくすればよいのではないか、と思われがちだが、それは誤解である。一部の軽度の弱視児にとってはそれでも有効かも知れないが、拡大教科書を切実に必要としている多くの子どもたちのニーズとは適合しないからである。

(1)字体
 人によって見え方や好みが異なるため、一概には言えないが、おおむねゴシック体が好まれている。これは、横画と縦画が同じ太さで表されており、可読性が高まるからである。

(2)文字の大きさ
 一般的に弱視者が読みやすい文字サイズと言われている22ポイント(B5版)の拡大教科書が出版されれば7割のニーズには応えられるであろう。その版型があれば、更に、一回り大きい約26ポイント(A4版)や一回り小さな約18ポイント(A5版)の拡大教科書もオンデマンド印刷を利用すれば同時発行できる。

(3)文字間・行間
 文字間は一文字一文字が認識できる程度に詰め、行間は改行して読むときに支障がない程度にあける必要がある。

(4)図版
 挿し絵やイラストの場合は、余分な情報は取り除き、必要な線を太く濃く描き直したり、わかりやすく強調したりというような描き換えが求められる。

(5)写真
 写真を見やすく加工するのはむずかしいため、複雑なものについては文字で説明を加えるのが適当である。

(6)色
 眼の症状によって認識しにくい色がある。図版のアミかけは、微妙な濃さによる区別が難しい場合もあるので、斜線、縦横の縞模様など比較的区別しやすいデザインパターン(ハッチング)を利用する方法なども有効である。色覚特性のある子どもにとっては、色分けによる区別だけでは識別できないこともあり、コントラストや補助的な文字情報によっても認識できるようにするなどの配慮も必要であろう。

(7)ページレイアウト
 弱視児は本のページ全体を俯瞰することがむずかしく、紙面を自分の目に近づけて、一文字一文字追いながら読む。一般の人はページ全体をパッと見て、「この範囲が本文、ここが図版、ここは写真」と一目で理解できるが、弱視の場合はそうはいかない。1ページにたくさん詰め込もうとして、本文と設問の文章が隣同士近づきすぎていると、間違ってつなげて読んでしまい、意味がわからなくなるということも起こる。本文、設問、図版、写真などが近づきすぎず、区別しやすいようにできるだけ余白をとりながらレイアウトする必要がある。ページ内の編集として大切なことは、レイアウトをシンプルにし、パターン化するということである。たとえば、大見出しは必ず左ページの冒頭から始める、小見出しもできればページの先頭から始める、本文に関連する挿し絵や写真、注釈などは、本文にできるだけ近いところに混同しないような配置の仕方をするといった具合である。

(8)ページの配分
 ページ配分については、以前、原本教科書の1ページを、拡大教科書では2ページで表すことを基本とするという考え方が出されていた。しかし、原本教科書では、同じ1ページでも情報量がかなり異なることもある。また、どうしても2ページに収めようとした場合、文字の大きさによっては文字間や行間を詰めなければ入りきらなくなり、かえって読みづらくなることもあり得る。あくまでも弱視の子どもの読みやすい文字の大きさ、文字間、行間で文字を送ることが大切である。ページ番号の表記は、「25−1」「25−2」「25−3」……のように原本ページとの対応をわかりやすくしておけばよいが当然ページ数の関係で分冊にする必要も出てくる。詳細は「拡大教科書がわかる本」(読書工房)参照。
 具体的には、そのノウハウを持っている盲学校教員などの専門家に協力を得ながら編集を進めるのがよいと考える。

 この編集方針に基づき、次のような製作工程が考えられる。

@教科書出版社が、弱視児にとって利用しやすくなるよう盲学校教員等の意見を参考に22ポイントゴシック体(B5版)の拡大教科書データを作成する。
Aオンデマンド印刷会社がそのデータを利用し、3種類の拡大教科書を印刷・製本する。

 このような供給体制が整えられれば、弱視児ほぼ全員のニーズをカバーすることができるだろう。しかし、弱視児の見え方は十人十色、千差万別であるため、どうしてももっと大きな文字を必要とする一部の子どものニーズは取り残されることになる。その場合、ボランティアがデジタルデータを利用し、オーダーメイドの拡大教科書を製作するのが現実的な方策と言える。


3.国の責任と出版社の役割
 2007年度は「特別支援教育元年」であるにも関わらず、パンク状態にある拡大写本ボランティアは悲鳴を上げ続けており、なおかつ全ての弱視児に適切な拡大教科書が供給されないという状態のまま、幕を開けようとしている。文部科学省が、教科書出版社に対し、拡大教科書の発行やデジタルデータの提供を促す依頼文書を発出したことは評価できるが、「教科書会社はあくまでも民間の企業であり、義務付けはできない。」という基本姿勢は崩していない。しかしこの論理は果たして正当なのであろうか。国土交通省は昨年、交通バリアフリー法とハートビル法を統合し、いわゆる「ユニバーサルデザイン法」を制定し、民間の業者に対し、エレベーターやエスカレーター、スロープや手すりなどをはじめ、障害者の様々なアクセシビリティを確保するよう法制度を総合的に整備した。
 また米国では、昨年12月に国立教材アクセスセンターを設立し、教科書出版社が一定のファイルフォーマットでデータを提出することを義務付け、障害児が確実に教科書が読めるという環境を整えた。
 しかしながら、日本では遠山元文部科学大臣が、2003年、国会において「学校教育の現場において、現に弱視である子供たちが例外なく拡大教科書が使えるようにしていくというのは、私は行政の責任だと思っております。」「いろいろな、どこでつくるかとか、どんなふうにつくるかとか、研究が必要な面もございますけれども、できるだけ早い機会に、できれば来年の四月から子供たちが親御さんの負担を経ないで適切な拡大教科書が使えるように、来年の春から弱視の子供たちの笑顔が見られるように、何とかしたい。」と答弁されてから既に4年近くが経過しようとしている。文部科学省には、憲法や教育基本法が定める子どもたちの教育を受ける権利を平等に保障するためにも的確なリーダーシップを発揮していただきたい。また、各教科書出版社におかれては、弱視児の学習環境の整備のために、また未来の共生・共育社会の実現のためにご理解とご協力を賜りたい。

4.「教育バリアフリー」を目指して
 拡大教科書を求める子どもたちは視覚障害に限らず、知的障害やLD等の軽度発達障害などさまざまな障害領域に広がる可能性が出てきた。しかし、ここで拡大教科書に関する無償給与制度の不備を一つ指摘しておきたい。
 通常の学級に在籍する知的障害や軽度発達障害のある子どもにとって拡大教科書が教育上、効果的であったとしても、現行制度では無償給与できないことになっている。「視覚に障害のある児童生徒に対する」という制限があり、視覚に障害がなければ制度は適用できないということである。つまり、学習上の効果については考慮されていないわけだが今後、拡大教科書の供給体制が充実してくると共に、「拡大教科書が学校教育上、有効と認められる児童生徒に対する」といった文言に改めることが求められる。
 更に今後、それぞれの障害のニーズが膨らんでくることを考えると、拡大に限らず、音声や画像を盛り込むことができる「マルチメディアDAISY教科書」を求める声が高まってくるだろう。「One Source, Multi Use」という視点に立てば、それぞれの障害に対し、アクセス可能な媒体を準備することは、特別支援教育を推進する上でも必要不可欠な要件と言える。このOne Source, Multi Useという考え方をイメージするには、大きな木を連想していただくのがよい。一つの著作物は太い幹に当たり、さまざまな障害のある全ての子どもたちをそれぞれの葉に例えてみると、小枝が点字や拡大、音声といった媒体ということになる。このような大樹を完成させるための出発点は何か。それが「電子データ」なのである。つまり、電子データを加工しやすく、誰でもアクセスできるような状態にしておくことが、長くて太い幹を伸ばすことになる。その枝の一つが弱視者のための拡大版ということになるが、これまで述べてきた出版社による拡大教科書保障というのは、この枝を教科書発行者の責任で延ばしてもらいたいということである。
 将来的には、教科書だけでなく、副教材や副読本、参考書や問題集、更には読書活動を深めるための図書といったあらゆる教材のバリアフリー化を総合的に整備していくことが目指すべき姿になると考えられる。生涯教育という観点からも、教育バリアフリーという観点からも、著作物という知的財産を学齢段階に限らず、また障害の有無に関わらず共有しようという社会的共通認識が生まれれば、日本全体の教養と文化水準がますます高まっていくと私は確信している。
 現在、我が国において、65歳以上の方は人口の5分の1を占め、10年後には4分の1になるということだが、今後このような高齢化社会に伴い、読書障害者が更に増えるということは容易に推測できる。その読書障害を取り除き、アクセスできる媒体で情報を提供していくことは今後、小さな市場ではなく、大きなマーケットになり得ると考えられる。同時にそれは出版社の社会的責務ともなるであろう。言い換えれば、日本社会の「多様性への理解と寛容」が試されるとも言えるが、現代の日本の技術と英知を結集すれば、「教育バリアフリー」も「読書バリアフリー」も必ず達成できるゴールと考える。著作権との調和やコストの問題などいくつか乗り越えなければならない課題もあるが、これは一国の文化的許容力を計る尺度とも言えるのではないだろうか。
 

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