2004年11月14日

「拡大教科書を巡る近年の動向と今後の展望」

筑波大学附属盲学校 宇野和博

1. 突破口となった著作権法改正

 拡大教科書製作には、著作権許諾という大きな壁があった。法的には教科書でないため、教科書に関わるすべての著者・画家・写真家に許諾を得なければ製作に取り掛かれないという問題である。数年来に及ぶ当事者やボランティア等の要望、及び理解ある国会議員の働きかけを受け、文化庁は著作権法改正に着手した。2004年1月に施行されたこの法改正により、今まで許諾が取れないために、拡大教科書から本文や挿し絵、写真が削除されていたが、これからは補償金を支払うことにより、検定教科書と同じ内容の拡大教科書が出版できるようになる。ボランティアが拡大教科書を製作する場合は、今までは「海賊版」などと指摘される声もあったが、補償金の支払義務も法的に免除されているので、これからは教科書協会に通知すれば合法的にすぐに製作作業に取りかかれることになる。また、弱視児は視野等の問題で複雑な図表や挿し絵が理解できないことがあるが、この改正によりそれらを見やすく書き直すことも違法ではなくなったのである。


2. 義務教育段階における拡大教科書無償給与

 通常の検定教科書と違い、少部数しか発行されない拡大教科書の製作費用は、1教科当たり数千円から数万円に及ぶ。それが義務教育にも関わらず、保護者負担となっていた。これは拡大教科書が法的には教科書と認められていないからである。文部科学省は「拡大教科書は検定教科書と字体やレイアウトが異なる。」という理由で教科書と認めない。しかし、拡大教科書も同じように「教科書」と認めれば、「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が適応できたはずである。
 この拡大教科書の費用負担問題について、当時の遠山文科相は、前述の著作権法改正審議の中で「弱視児が例外なく拡大教科書を使えるようにするのは行政の責任」「拡大教科書が実質上、無償になるようにしたい」と国会で明言した。この遠山文科相の前向きな答弁を受け、文部科学省初等中等教育局内で無償措置の検討が始まった。
 まず、盲学校や弱視学級に在籍する弱視児に対し、学校教育法第107条をボランティアが製作した拡大教科書にも適応し、無償給与を実現することとなった。この法律は、盲学校や弱視学級において、当分の間、検定教科書又は文部科学省著作の教科書以外の図書を教科書として使用することができるというものである。これまで盲学校や弱視学級では、出版されている拡大教科書のみ「107条図書」と認定され、無償給与されてきたが、ボランティアが製作する拡大教科書は「学用品」として、その費用の一部が就学奨励費で補助されているだけであった。
 一方、弱視児が通常の学級に在籍する場合は、この107条は適応にならない。そこで、その費用について文部科学省より新規の概算要求が出された。要求額は2002年度に製作された拡大教科書の数を参考にし、1,700万円となった。その概算要求は、403億円という教科書総予算の中で支出するという形で政府案にも盛り込まれた。それを受け、文部科学省教科書課は2003年12月25日に「通常の学級に在籍する視覚に障害のある児童生徒に対する拡大教科書の無償給与について」という事務連絡文書を各都道府県教育委員会に送付した。内容は1月30日までに拡大教科書を必要とする弱視児の数を調査し報告すること、その政策をボランティアに依頼する場合は国との契約が締結できるか、また4月15日までに拡大教科書を納品できるかを確認するよう命じているものである。これにより弱視児の拡大教科書は高校段階を除き、制度上、すべて無償給与される道が開けたことになる。


3. 非現実的な無償措置

(1) 申請期限
 拡大教科書の無償措置は実際にはうまく機能せず、多くの弱視児の拡大教科書が引き続き自己負担となってしまった。その1つの理由が申請期限である。
@ 盲学校・弱視学級
 盲学校や弱視学級に在籍する弱視児が拡大教科書を使用する場合、その申請期限が前年9月末までとされている。やむを得ない事情があっても、前年12月末以降は認められない。出版されている拡大教科書が使用できない場合は、12月末までに保護者はボランティアを探し、製作を依頼し、その拡大教科書を「教科書」として使う旨を学校を通して教育委員会に申請しなければならない。
A 通常学級
 通常の学級に在籍する弱視児の場合、2003年度は盲学校・弱視学級と同様の申請手続を1月30日までに行わなければならなかった。2004年度は更に1ヶ月早まり、前年12月末までに申請をしなければ無償措置は受けられない。
 しかし、これらの申請期限は全く現実離れしていると言わざるを得ない。1月以降に受験し、進学先が決まる弱視児やこの措置を申請期限後に知った弱視児には無償給与は適応されない。また、年度途中の視力低下や転校などにも対応できない制度である。
 この申請期限について2004年5月28日、文部科学省は肥田美代子衆議院議員の質問に対し、「平成17年度用の拡大教科書につきましても、文部科学省への申請期限後に生じた追加分は無償給与の対象とする、こういうふうにしておるわけでございまして、こういった拡大教科書の納期でありますとか申請期限の弾力的な取り扱いにつきましては、この4月に各都道府県教育委員会の担当者を対象とした会議を開催し周知徹底を図ったところでございまして、今後とも、この拡大教科書の無償措置が円滑に実施されるように努力してまいりたいと考えております。」と答弁している。それにも関わらず、2004年9月に送付した盲学校現場への通知文書では、申請期限を「原則として前年9月末」としており、首尾一貫していない対応が各地で混乱を招いている。

(2) 納品期限
 ボランティアが何分冊にもなる拡大教科書をすべて4月までに製作するのは、ほぼ不可能であるにも関わらず、4月15日までに全冊納品することが無償措置契約の条件とされていた。文部科学省はボランティアと新規に契約を結ぶに当たり、教育委員会にこの納品期限が守れるかどうかを確認するよう命じた。この納品期限が拡大教科書の無償化の大きな妨げとなった。「4月には第1分冊のみ納入し、その他は授業に間に合うように必ず納品する。」というボランティアの主張と「教科書は4月15日までにすべて納入していただくのが規則である。」という行政との溝は埋まらなかった。このような対立は、全国各地で見られた。ボランティアが原本教科書を前年11月(下巻については当年5月)まで入手することが困難な現状や、製作に通常約3〜4ヶ月、場合によってはそれ以上の期間がかかる実情を行政の事務担当者は理解しようとしない。納品期限を巡り、教育委員会とボランティアの話し合いが決裂し、無償措置が進められなかったという事例も出た。
 この問題について、文部科学省は衆議院文部科学委員会で肥田美代子議員の質問に対し、「拡大教科書の納期につきましては、学校での授業に支障が生じないよう、少なくとも年度当初の授業から使用される分の分冊につきましては、4月の授業開始時までに納入することとしておりますが、その後に使用される予定の分冊につきましては、4月以降の納入にも柔軟に対応できるようにしており、学校での授業に支障が生じない範囲での弾力的な取り扱いとすることとしたところでございます。」と答弁し、従来の規制を緩和した。具体的には、何分冊にも及ぶ拡大教科書を前期・後期に分けて納品すると共にそれ以外の分冊については「転学扱い」とするというものである。(16文科初第46号「視覚に障害のある児童生徒に対する「拡大教科書」の無償給与について(依頼)」参照)

(3) 混乱する現場
 都道府県教育委員会が正確に制度を理解していないことや無償措置に関する情報が行き届かないことにより学校現場も大きく混乱した。これは、盲学校や弱視学級においてボランティアが製作した拡大教科書を「107条図書」と認定し、無償で給与するという方針について、文部科学省から都道府県教育委員会に口頭でしか説明されなかったことに起因する。その結果、ほとんどの都道府県において学校現場まで適切に情報が伝えられなかったのである。よって、当事者やボランティアが担当者に説明し、制度を理解してもらうという本末転倒の情報周知となってしまった。4月以降も制度を十分理解していない教育委員会や盲学校からの問い合わせが続いているが、無償給与の申請期限は既に終わっている。
 また、通常の学級に在籍する弱視児の拡大教科書無償措置についても文部科学省から文書が出たのが2003年12月25日であり、報告期限は約1ヵ月後の1月30日であった。各都道府県教育委員会は1ヶ月間で実態を把握すると共に、ボランティアとの契約の確認を行わなければならず、対応に右往左往した。中には十分に弱視児の実態や拡大教科書の希望の有無などを確認しないで報告してしまい、弱視児のニーズが無視されてしまったケースもあった。

(4) ボランティアへのしわよせ
 出版されている拡大教科書は盲学校小学部の4教科と中学部の5教科だけである。つまり、盲学校に通っていてもすべての必要な拡大教科書が学校からは供給されていない。結果的に弱視学級や通常の学級に在籍する弱視児も含め、全国の弱視児の拡大教科書の製作依頼がボランティアに殺到した。一方、全国で拡大教科書を製作しているボランティアグループは約50団体である。当然のことながら多くの依頼に対し、断わらざるを得ないという事態になってしまった。もちろん前述のような混乱があったため、全国で2,000名から3,000名と言われている弱視児のすべてが希望の声を上げられたわけではなく、教科書を読むという基本的な学習環境すら整えられない子供たちが相当数いると考えられる。結局、無償措置が認められたのは全国で514名分、3,948冊に留まった。(別に追加分241冊あり。)それでも以前に製作された拡大教科書一覧の中から我が子に適するものがないか、情報を求め奔走する保護者もいた。ボランティアからは「困っている弱視児を目の前に断わるのは忍びない」という声も聞かれた。また、ボランティアを出版社のように扱い、厳しい納品期限を突きつけたり、膨大で煩雑な契約手続を押し付けてくる行政機関の姿勢に怒りの声も上がった。本来、弱視児を支援しようという志から始まったボランティア活動が、利用者である弱視児とのつながりを失い、教育行政の不備を本格的に穴埋めさせられ、、挙句の果てには製作能力を超えてしまうという事態になってしまったのである。


4. 求められる製作体制の充実

 上記の申請期限や煩雑な契約手続の問題解決も望まれるが、そもそも弱視児の教科書供給をいつまでもボランティアに依存したままでよいのだろうか。河村前文科相は、衆議院文部科学委員会で「現時点については、ボランティア団体の御理解と御協力をお願いいたしておるところでございまして、当面そういう形で、今回、この制度、対応したわけでございます。しかし、本来的には、委員のおっしゃるとおり、学校において責任を持ってやる部分というのはたくさんあると思うんですね。そういう視点に立って、これにはきちっと対応できるように、今後どういう形でやっていくか検討しながら対応してまいりたい、こういうふうに思います。」「これからも、やはり特に義務教育段階においては、憲法の精神にのっとりながら、児童生徒すべてに、国が最終的な責任を持って、そして適切な教育を受けられるように、教育環境の整備、きちっと努めてやりたい、このように考えております。」と述べられた。学校教育法第21条にあるように、国が責任を持って文部科学省著作の教科書を発行すれば問題はすべて解決される。実際に盲学校の小学部の国語、算数、理科、社会及び中学部の国語、数学、英語、理科、社会の点字教科書は文部科学省が発行している。
 それがどうしても困難ならば、円滑に拡大教科書が発行されるような出版の体制を整えることが必要である。安定的で継続的な拡大教科書供給を保障するには、出版社の理解を得て、検定教科書出版社に拡大教科書発行を義務付けるのが最善の解決策と考える。現に光村図書出版は自ら拡大教科書を発行している。
 拡大写本ボランティアは現在、一文字一文字手書きで書き写したり、パソコンに入力したりという作業に加え、写真や挿し絵をスキャナーで読み取ったり、切り張りするという作業負担を負っている。出版社はすべての文字データ、写真や挿し絵などの原図をもっており、それらを電子的に有効利用できる環境にある。その編集過程に盲学校教員やボランティア等の専門家が加われば、印刷・製本まで原本出版社が担えると考える。小部数に対応するためには、1冊からでも印刷・製本できるオンデマンド印刷という技術に頼ることもできる。無償給与の制度ができているので、赤字覚悟や奉仕で出版を求めているのではない。小さな市場なのである。
 「交通バリアフリー法」で、エレベーターやエスカレーターの設置が鉄道会社に義務付けられているのと同じように、教育でも「教科書バリアフリー」が求められているのである。もちろん行政や出版社の理解を得て、このような供給体制を作るには時間もかかるだろう。それまでの当面の間は、少なくとも教科書出版社にデータを提供してもらい、以下のように効率よく作業を進めることが望まれる。

(1) 別の出版社が発行する場合
@ 原本教科書出版社が、文部科学省に原本及び教科書データを提出する。
A 文部科学省教科書課が出版社を募り、拡大教科書の発行を割り当て、原本及び教科書データを提供する。
B 拡大教科書出版社が、弱視児に利用しやすくするために盲学校教員等の意見を参考に加筆修正を加え、データを加工する。
C 弱視児のニーズに合わせ、数種類の拡大教科書データを完成させる。
D 印刷会社がデータを利用し、数種類の拡大教科書を印刷・製本する。

(2) パソコンを利用している拡大写本ボランティアが製作する場合
@ 教科書出版社が、文部科学省に原本及び教科書データを提出する。
A 文部科学省教科書課が、原本及び教科書データを各ボランティアに提供する。
B 弱視児に利用しやすくするために盲学校教員等の意見を参考に加筆修正を加え、データを加工する。
C 印刷会社がデータを利用し、拡大教科書を印刷・製本する。

(3) 手書きによる拡大写本ボランティアが製作する場合
@ 教科書出版社が、文部科学省に原本及び教科書データを提出する。
A 文部科学省教科書課が、各ボランティアに原本を提供する。
B 弱視児に利用しやすくするために盲学校教員等の意見を参考に加筆修正を加え、手書きにより拡大写本を完成させる。
C 各ページをスキャナーで画像として読み取り、データ化する。
D 印刷会社がデータを利用し、拡大教科書を印刷・製本する。


5. 「例外なく拡大教科書が使えるのは行政の責任」

 2003年5月22日の参議院文教科学委員会において、神本美恵子議員の質問に対し、遠山文科相は以下のように述べられた。
 「学校教育の現場において、現に弱視である子供たちが例外なく拡大教科書が使えるようにしていくというのは、私は行政の責任だと思っております。その角度から、子供たちにとって最もいい方法でこの問題を解決をしていく必要があると私は思っております。 」
 2003年6月11日の衆議院文部科学委員会においても遠山文科相は、肥田美代子議員の質問に対し、以下のように述べられた。
 「いろいろな、どこでつくるかとか、どんなふうにつくるかとか、研究が必要な面もございますけれども、できるだけ早い機会に、できれば来年の4月から子供たちが親御さんの負担を経ないで適切な拡大教科書が使えるように、来年の春から弱視の子供たちの笑顔が見られるように、何とかしたいと思っております。」
 多くの例外を作ってしまった無償措置や拡大教科書を希望しても入手できない現状、保護者やボランティアの努力に委ねられている教科書供給をいつまでも放置しておいてよいはずはない。文部科学省教科書課及び特別支援教育課がリーダーシップを発揮し、教育委員会や盲学校、教科書出版社、拡大写本ボランティアが連携し、安定的で継続的な拡大教科書供給体制を1日も早く構築する必要がある。
 

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