拡大教科書に関する著作権法改正と残された課題


1.視覚障害児の教科書の現状
 拡大教科書とは、弱視の子どもたちのために、通常の教科書の文字を大きく太くした本だ。盲学校や弱視学級で授業を受けるためには必要不可欠である。しかし、拡大教科書が出版されているのは一部の教科であり、弱視児が学習に困難を来たしている状態が続いている。(※ 別表「視覚障害児の教科書の実態」参照)弱視児の中には実費でボランティアに拡大教科書の製作を依頼している場合もあるが、多くの弱視児は学習以前に教科書を読むこと自体にハンディを背負わされているのが現状だ。全国の2000〜3000名の弱視児が基礎学力を身につけ、自立し、社会参加していくためにも、この見えにくさに起因する読書困難や学習不能を早急に解決しなくてはならない。

2.著作権法改正
 拡大教科書製作には、著作権許諾という大きな壁があった。法的には教科書でないため、教科書に関わる全ての著者、画家、写真家に許諾を得なければ製作に取り掛かれないという問題である。数年来に及ぶ当事者やボランティア等の要望を受け、文化庁は拡大教科書製作の足かせとなっていたこの問題について法改正に着手した。この改正により、今まで許諾が取れないために拡大教科書から本文や挿絵、写真が削除されていたが、これからは補償金を支払えば検定教科書と同じ内容の拡大教科書が製作できるようになる。また、弱視児は視野等の問題で複雑な図表や挿絵が理解できないことがあるが、それらも分かりやすく書き直すことができるようになるのである。今年度の通常国会で成立した改正案は以下の通りである。

(教科用拡大図書等の作成のための複製)
第三十三条の二 教科用図書に掲載された著作物は、弱視の児童又は生徒の学習の用に供するため、当該教科用図書に用いられている文字、図形等を拡大して複製することができる。
2 前項の規定により文字、図形等を拡大して複製する強化用の図書(当該教科用図書に掲載された著作物の全部又は相当部分を複製するものに限る。以下この項において「教科用拡大図書」という。)を作成する者は、あらかじめ当該教科用図書を発行する者にその旨を通知するとともに、営利を目的として当該教科用拡大図書を頒布する場合にあつては、前条第二項に規定する補償金の額に準じて文化庁長官が毎年定める額の補償金を当該著作物の著作権者に支払わなければならない。
3 文化庁長官は、前項の定めをしたときは、これを官報で告示する。

(同一性保持権)
第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
2 前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。
一  第三十三条第一項(同条第四項において準用する場合を含む。)、第三十三条の二第一項又は第三十四条第一項の規定により著作物を利用する場合における用字又は用語の変更その他の改変で、学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの

3.義務教育にも関わらず無償にならない拡大教科書
 著作権法改正だけで拡大教科書出版に関わる問題が全て解決されたわけではない。小・中学校に通う弱視児に拡大教科書を無償で給付できないという問題がある。通常の教科書と違い、少部数の発行である拡大教科書は1教科当たり数千円から数万円に及ぶが、現在は義務教育にも関わらず、保護者負担となっている。これは拡大教科書が法的には教科書と認められていないからだ。法的に「教科書」と位置づけられれば、費用負担の問題も残らなかったはずだ。学校教育法で教科書とは「文部科学大臣の検定を経た図書又は文部科学省が著作の名義を有する図書」と定められているが、内容的に検定を通った図書を拡大文字に書き換えたものも同じように教科書とすれば、既存の著作権法第33条や義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律が適応できたはずである。
 昨年、文部科学省は学校教育法施行令を改正し、弱視児でも条件が整えば通常の学級に就学することを法的にも可能にした。また「21世紀の特殊教育の在り方」では、「これからの障害児教育は障害のある児童生徒等の視点に立って一人一人のニーズを把握し、必要な支援を行う」とされている。また「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」第3条では、教科書は国が購入し無償給付することと定められている。しかし、文部科学省特別支援教育課は「弱視児の通常学級への就学を認定するのは地方自治体であり、国として拡大教科書の費用負担はできない。」という見解を示している。なぜ通常学級に通う弱視児は、高額な拡大教科書代を自己負担しなければならないのだろうか。この不平等は、差別を禁じた「国連子どもの権利宣言」、「国連子どもの権利条約」、「日本国憲法」に抵触するのではないだろうか。1000名を超える弱視児が既に通常学級に通っているが、その子供たちの拡大教科書も無償で給付されるような法整備を求めたい。

4.遠山文部科学大臣の前向きな発言
(1)子供たちにとって最善の方法での問題解決
 2003年5月22日の参議院文教科学委員会において、神本美恵子議員の拡大教科書に関する質問に対し、遠山大臣は、「弱視児が例外なく拡大教科書を使えるようにするのは行政の責任」と言及した。以下に参議院文教科学委員会の会議録より一部を引用する。

○神本美恵子君 現状はいかにボランティアの方たちが御苦労なさっているか、そしてまた弱視の子供さんを持っている親御さんの保護者負担がいかに大きいかという現状については私もるる申し上げましたのでお分かりいただいたと思います。
 非常に硬直した検定の在り方というふうに私は受け止めたんですけれども、やっぱりそこは是非とも早急にこの問題を解決していただきたい。今回の著作権法の改正では本当にちょっとだけといいますか、一歩前進だというふうには私も思います。でも、これでは決して問題は解決していないし、相変わらずボランティアの方たちが御苦労なさってやらなければいけないという、その現状を是非とも文科省としては認識をしていただきたいというふうに思います。
 最後に、大臣、この件について御決意をお願いいたします。
○国務大臣(遠山敦子君) この問題は、昨年の委員会、衆参におきまして御議論いただきまして、私も大変大事な問題だと考えております。そして、今回の著作権法の法改正は、この問題に取り組んでいる方々にとって一つの大きな福音であることは確かでございます。しかし、それを更に学校教育の現場において、現に弱視である子供たちが例外なく拡大教科書が使えるようにしていくというのは、私は行政の責任だと思っております。その角度から、子供たちにとって最もいい方法でこの問題を解決をしていく必要があると私は思っております。
 初中局長は、言葉を選びながら、いろいろ検討していくと。あれだけ言っているということは、相当検討するということだと私も思っておりまして、この法律が施行日を迎えるのが来年の一月一日でございます。一月一日が施行日でございまして、このことを考えますと、施行日ないし来年度に向けまして、できるだけのことをしていきたいと私は考えております。
 そのことが日本の大事な子供たち、弱視であっても、私は、十分世の中で活躍してもらうことができるわけでして、そういう子供たちにとって本当の意味の福音になるようにしていきたいと思いますが、その方法論につきましては若干お時間をいただきたいと思います。
 しかしながら、その御指摘の点については、私は十分この問題についての大事なポイントであるというふうに承っております。
○神本美恵子君 大臣の今、弱視の子供たちが例外なくこういった教科書が行き渡って学べるような環境を作りたいという言葉、それから文科省として局長が検討する検討するとおっしゃっていただいたので、それは本当に前向きな検討だというふうに大臣からもおっしゃっていただきましたので、是非その方向でやっていただきたいと思います。

(2)保護者負担の軽減
 遠山文部科学大臣は、上記の委員会での翌日の5月23日に、記者会見において以下のように述べられている。

記者:昨日の参議院文教科学委員会で審議された著作権法改正案の関係で、弱視の子どもたちのための拡大教科書について答弁されましたが、具体的に検討されていることはございますか。
大臣:今回著作権法を改正して、教科用図書に掲載された著作物については、拡大教科書を作成するために、著作者の許可を取らなくても、拡大、複製ができるようにしようとしているわけですが、さらに、今後弱視の子どもたちが拡大教科書を利用するにあたって保護者の負担を軽減できないかと考えております。制度的、財政的ないろいろな課題もよく検討して、弱視の子どもたちが拡大教科書を使いやすくなるように、ぜひともやっていきたいと思っています。具体的な方法論につきましてはこれから検討をいたします。

(3)無償化に向けての予算措置
 6月11日の衆議院文部科学委員会においても遠山大臣は、肥田美代子議員の質問に対し、「拡大教科書が実質上、無償になるようにしたい」と明言した。以下にその議事録を引用する。

○肥田委員 それで、今まさにそばにある問題として考えていただきたいんですが、そうだとするならば、法改正の趣旨を最大限に生かすとすれば、私は、費用負担がぜひ大切な問題として話し合われなければいけないと思うんです。
 今教科書は、普通の子供たちはただなんですね。弱視の子供たちは一万円単位のお金を払っているわけですが、この負担というのは保護者にとって大変なんですね。ですから、これを本当に軽減する方向へ持っていかれるおつもりなのか。
 いろいろ方法はあると思うんですよ。文部省自身が教科書をつくってくださってもいいし、それから教育委員会が教科書をつくってくださってもいい。いわゆる教科書無償の制度でも私はいいと思います。また、ボランティアへの補助でもいい。御父兄への援助でもいい。学校への支援でもいいんですが、少なくとも、この改正案で経済的な支援をきちっと約束していただかないと、私は、今まで役所の方々からいろいろな答弁をいただきました。ところが、先に希望が見える答弁が出ないんですよ。
 ですから、今回ぜひ大臣にお願いしたいのは、関係者の方々に希望を与えられるような、そういう御答弁をいただきたい。ぜひ具体的に、経済的な援助も含めてお願いしたいと思います。
○遠山国務大臣 拡大教科書につきまして、著作権法上のこれまでの難しさがこれで解除されるわけでございますので、私どもとしましては、拡大教科書をぜひとも、できるだけ無償という形で、実質的に無償というふうになるように予算措置をしたいと思っております。
 いろいろな、どこでつくるかとか、どんなふうにつくるかとか、研究が必要な面もございますけれども、できるだけ早い機会に、できれば来年の四月から子供たちが親御さんの負担を経ないで適切な拡大教科書が使えるように、来年の春から弱視の子供たちの笑顔が見られるように、何とかしたいと思っております。
 もちろん、これから研究をして、予算要求をして、それを獲得してという大変な作業がございますけれども、私は、これは初中局と一緒になって、何とかその方向に向けて歩み出したいと思っております。

5.望まれる製作体制
 現在、法的な教科書として拡大教科書が給付できるのは、以下の2つの方法である。
@文部科学省が拡大教科書を発行する。
A教科書出版社が原本と同時に拡大教科書を製作し、検定を受けて発行する。

 上記の解決策のどちらも困難ならば、いくつかの問題は残るものの少なくとも円滑に拡大教科書が発行されるような出版の体制を整えることが必要である。
 米国では、既に教科書を出版する際には必ず教科書データを添付することを義務付けている。更に別媒体への変換を、よりスムースにするために、提出される教科書データのファイルフォーマットを統一する方向で検討が進められている。(DAISY3またはANSI Z39.86-2002)
 欧州諸国でも教科書会社より視覚障害児に「E-book」という形でデータが提供され、それを本人がパソコンでそれぞれの使いやすい形に変換したり、社会福祉法人によって拡大文字、点字、音声等に変換する作業が進められている。
 それに比べ、日本の拡大教科書出版社やボランティアは、原本を早期に入手し、1文字1文字手書きで大きく書き写したり、パソコンに文字を打ち込むという作業から始めなければならない。その時間と労力は相当なものであり、結果的に全ての要求に応えられなかったり、高額な拡大教科書になっているのである。今後、多くの種類の拡大教科書を製作していくには、教科書出版社と拡大教科書製作者との連携が必要不可欠である。更に、XMLというコンピュータ言語を用いた編集や小部数でも比較的安価で印刷、製本できるオンデマンド印刷等の最新技術を用いることにより、一人一人のニーズに合わせた以下のような拡大教科書製作プログラムが考えられる。

@教科書出版社が、文部科学省に原本及び教科書データを提出する。
A文部科学省教科書課が出版社を募り、拡大教科書の発行を割り当て、原本及び教科書データを提供する。
B拡大教科書出版社が、提供されたデータをXMLに変換する。
C弱視児に利用しやすくするために、盲学校教員等の意見を参考に加筆修正を加えデータを加工する。
D弱視児のニーズに合わせ、数種類の拡大教科書データを完成させる。
E印刷会社がデータを利用し、数種類の拡大教科書を印刷・製本する。

6.One Source, Multi Use
 2001年6月に「二人五脚」という本が5媒体で出版された。一般の本に加え、大活字版、点字版、音声版、マルチメディアデイジー版の4媒体を加え、「バリアフリー出版」と呼ばれ、話題となった。その後もいくつかの本でこのバリアフリー出版が行われている。この出版理念は、1つの著作物(One Source)を様々な障害のある人のためにいくつかの媒体で利用(Multi Use)し、より多くの人が読書を楽しめるようにしている。義務教育の教科書にも、このような理念と最新技術を用い、全ての子供達が平等に学習できる環境が整えられることを展望したい。
 また「子どもの読書活動の推進に関する法律」に書かれているように「子どもが、言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく」ためには、教科書だけでなく、副教材や参考書、問題集、一般図書などの書籍への情報アクセスを保障する必要がある。もちろん、著作権の許諾という問題はあるわけだが、その際に著作権を保護するという観点と著作権許諾を簡便にするという観点を両立させる必要がある。例えば、教科書のように補償金を支払うことにより、著作物の媒体を変える許諾が一括して得られるようなシステムが考えられる。これらの法整備や媒体保障は、文部科学省等の行政のリーダーシップ、著作権者の理解、民間出版社の協力、ボランティア等の社会的支援が伴ってこそ実現できていくものである。弱視児が「見えにくさ」をハンディとせず情報にアクセスでき、能力が引き出され社会参加する力を培っていける日が来ることを切望している。

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