2002年4月18日アップ分

拡大教科書の公的補償に向けて

                            筑波大学附属盲学校
宇野 和博(うのかずひろ)
 「弱視」とは、矯正しても視力が0.3未満の者を指すが、その見え方は十人十色である。視力の問題だけでなく、夜盲の人もいれば、眩しさが苦手な人もいる。視野が狭い人や視野の中心部が欠損している人もいて、それぞれの見え方に対するケアもワンパターンでよいということにはならない。全く見えないわけではなく様々な見えにくさを抱えているのが実態なのである。実にその数は視覚障害者30万人の7割以上と言われている。また、加齢による低視力者を入れると、日本における弱視者の数は100万人とも推定されている。ここに弱視の子供達の学習環境や教科書はどのような現状なのかを明らかにしたい。
1.現場の現状とその問題点
(1)盲学校
 盲学校の教科書は一括採択されるため、全国で同じ教科書が使用されている。主に全盲生徒が使用する点字教科書のうち、小学部の主要4教科及び中学部の主要5教科については文部科学省著作の教科書が発行されている。その他の教科については点字出版所が発行している。つまり、小学部から高等部まで全ての点字教科書が確実に入手できるようになっている。
 それに対し、文部科学省が発行している弱視児のための拡大教科書はない。現在、弱視児は法的には教科書ではない拡大教材(後述の107条本)と呼ばれているものを使用している。その拡大教材も、民間の出版社から小学部の国語と算数、中学部の国語、数学、英語において出版されているだけである。それらも文字の大きさが1種類だけでしか製作されていないため、個々に見え方の違う弱視児にとって全員が使用できるものではない。また国語・算数(数学)・英語以外の教科や高等部においては拡大教材すらないため、一般の教科書を読む困難を弱視児自身が克服しなければならないのが現状である。
  一般の教科書をルーペや拡大読書器(文字などをテレビ画面に大きく映し出す機器)を利用しないと教科書が読めない弱視児もいる。これらの方法では原本の文字そのものを変えていないため、細い字や小さい字、細かい図表等がある場合など読みにくさが解消されることにはならない。また、教科学習に並行して補助具の指導というのは実質上、無理がある。しばしば読み速度の低下や読書不能を引き起こし、結果的に学習効率が著しく悪くなるということも起きている。
 このような現状の中、残された方法として生徒自身がボランティアの方に拡大写本(原本の教科書を大きな文字で書き写した本)を作っていただくことがある。しかし、それでは写本ボランティアとのつながりがない弱視児は入手できない。実際、弱視児全員が拡大写本を入手できているわけではなく、学習環境を整えることすら困難なのが現状である。
 しかし、そもそも拡大写本の供給はボランティアに依存したままでよいのだろうか。一般学校に通う健常児が一般の教科書を手にしているように、また、点字使用の生徒が点字教科書を手にしているように、弱視児が公式に拡大教科書を手にするのが本来の教科書供給のあり方ではないのだろうか。
(2)弱視学級・一般校
 全国の弱視児の大半は盲学校ではなく、弱視学級や一般校に通っている。その実情は決して弱視児にとって学習しやすい状況にはなっていない。
 まず、小・中学校で使われている教科書が盲学校で一括採択されている教科書と同じ場合はその拡大教材を購入することができる。しかし、費用については、義務教育期間にも関わらず保障されていないケースが少なくない。
 また、多くの場合、盲学校で採択している教科書と一致していないため、教科書を読む際の努力が本人に委ねられているか、ボランティアの方々に拡大写本を作成してもらっているのが現状である。中には身近に拡大写本ボランティアの方がいなかったり、その情報が行き渡っていないために本人及び保護者が大変困っているケースもある。
 文部科学省は、「国として盲学校を設置しているので、一般学級に通う自動・生徒のために教科書保障や拡大写本の費用負担はできない。」という姿勢を崩していない。現実には盲学校の少人数化が進んでおり、同じ学年の児童・生徒がいないということもかなり増えてきている現状の中、保護者が盲学校ではなく地域の学校を選択している状況も当事者の立場に立って考えていただきたい。

2.作成上の問題点
(1)著作権問題
 拡大教材の製作は著作権法でも学校教育法でも認知されていないため、法律によって足かせをはめられているような状態であることが明らかになった。その説明のために、下記に一般の教科書に関する著作権法を引用する。

著作権法第三十三条(教科用図書等への掲載)
公表された著作物は、学校教育の目的上必要と認められる限度において、教科用図書(小学校、中学校又は高等学校その他これらに準ずる学校における教育の用に供される児童用又は生徒用の図書であって、文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義を有するものをいう。)に掲載することができる。
二 前項の規定により著作物を教科用図書に掲載する者は、その旨を著作者に通知するとともに、同項の規定の趣旨、著作物の種類及び用途、通常の使用料の額その他の事情を考慮して文化庁長官が毎年定める額の補償金を著作権者に支払わなければならない。

 この法律は、教科書出版社が教科書を発行する際には、原作者に定められた補償金を支払うことにより、許諾を得なくても掲載できるということを意味している。この法律により、多くの著名な著者が関わる教科書が比較的安価で容易に作成できるようになっている。但し、法的な教科書とは検定教科書又は文部科学省著作のものだけということも明記されている。よって、拡大教材や拡大写本は法的に教科書ではないためこの法律は適応されない。ここで、下記の学校教育法を引用する。

学校教育法第百七条
高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校並びに特殊学級においては、当分の間、第二十一条第一項(第四十条、第五十一条及び第七十六条において準用する場合を含む。)の規定にかかわらず、文部大臣の定めるところにより、同条同項に規定する教科用図書以外の教科用図書を使用することができる。

 この法律は適切な教科書がない場合には、盲学校等では一般図書を教科書として採択できることを意味している。つまり文部科学省が拡大教科書を発行しなくても、また拡大文字の検定教科書がなくても、民間の出版社が拡大教材を出版しさえすれば、盲学校においては教科書として扱えるということを意味する。これにより、民間から出版されている3教科の拡大教材は、盲学校において教科書として扱われているのである。(107条本)

 しかし、ここで点字と違い、拡大文字での教材作成上に大きな壁が生じることになる。下記の著作権法を引用する。

第三十七条(点字による複製等)
公表された著作物は、盲人用の点字により複製することができる。

 この法律により点字の場合は著者の許諾を取らなくてもあらゆる図書を点訳できることになっているつまり、点字は107条本であっても教科書作成に問題は生じない。しかし、ここでも拡大文字について触れられていないため、教科書の文字を大きく書き写す際に次のような問題が残されることになる。

@出版社のみならず、著者・画家・写真家等、すべての原作者に許諾を得なければ作成できない。この許諾は、弱視児の見えやすさのために挿絵の一部を消去したり、線を太くしたりする場合にも言えることである。
A小ない部数にも関わらず、高額な著作権料を支払わなければ同じ内容を補償できない。

  結果的に現在の拡大教材という位置付けでは、原本の教科書と同じ内容を載せることが出来ず、本文の一部が掲載されなかったり、写真や挿絵は削除されているのが現状である。
 これらの法律から分かることは、拡大教材が法の間でいかに認知されておらず、且つ作成しにくい状況にあるかということである。
 下記に上位法である教育基本法を引用する
 
教育基本法第三条(教育の機会均等)
すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。

 現在の弱視児の置かれている学習環境は上記の教育基本法及び法の下の平等を定めた日本国憲法の精神にも反すると言っても過言ではないだろう。


(2)高額な費用と作成時間
 問題は著作権だけではない。政策上の時間と費用の問題がある。教科書が改訂時には、次年度4月までの限られた時間で拡大教材を別の出版社が作成しなければならないわけだが、データがないともう一度本文を打つことから始めなければならない。上記の著作権の許諾とこの打ち直しの作業により作成時間及び費用がかさみ、高額な教科書になってしまうのである。
 米国の一部の州では、教科書を出版する際には必ずテキストデータを添付することを義務付けている。これは、点字や拡大文字への変換の効率を考慮しているものであり、教科書のバリアフリーを実現しているものと考える。

(3)ボランティアの方が拡大写本を作成する場合の問題点
 ボランティアの方が拡大写本を作成する場合には、著作権問題以外にも、作成費用を誰が負担するかという問題が挙げられる。小・中学校では本来、教科書は無償であり、盲学校での点字教科書の場合は高等部まで就学奨励費で保障されている。しかし、ボランティアの方々が作成された拡大写本の場合、盲学校の義務教育の間にも関わらず、弱視児の保護者が負担するかボランティアの会費で賄われているのがほとんどである。就学奨励費によって実費の半額を自治体が負担しているケースもあるようだが、決して十分とは言えない。
 また、作成方法は手書きとパソコン利用の2通りがあるわけだが、どちらの方法でも早期に原本及びそのデータが入手できないと次年度4月に間に合わせるのが困難になってくる。


3.望まれる供給体制
(1)求められる法整備
 義務教育段階の教科書については出版社に任せるのではなく、点字教科書と同様に文部科学省が文部科学省著作の拡大教科書を発行すべきである。盲学校教員等の有識者を委員として招集し、編集することにより、挿絵や図表などを含め、真に弱視児が使いやすい拡大教科書が製作できると考える。
 また、盲学校高等部や弱視学級の教科書については文部科学省著作の教科書が作られなければ、以下の法整備が求められる。前述の著作権問題でも触れたように、著作権法第33条の中で107条本ではなく、教科書として位置付けてもらうことが不可欠である。一定の補償金を支払うことで、許諾を取らなくてもよいというシステムこそがまず求められる基盤である。その際に拡大教科書出版社が全ての著者に保証金を個別に支払うのではなく、原本を発行した出版社に一括で保証金を支払うなど円滑に運用されるための配慮が必要であろう。
 但し、弱視児が学習上必要な課題図書、参考書、問題集など教科書以外の図書については課題が残ることになる。これらの図書については著作権法第37条で点訳と同じように、拡大を自由に行えるようにすることは、著作権者との利害も対立するため慎重な議論を要する。よって、教科書と同様に一定の保証金を支払うことにより許諾を省略できるというような何らかの法整備が求められる。

(2)予算措置
 盲学校においては国語や算数などの前例があるので、更に拡大教材の種類が増えても予算を多くすることで対応できるものと考える。しかし、一般学級に通う弱視児の場合はその費用に対する予算の費目がない。よって、法的に拡大教材が教科書として位置付けられるまでは文部科学省又は各地方自治体において「特別な配慮が必要な弱視児の教材費」等の費目を設置するか就学奨励費の対象にする必要がある。また、ボランティアの方が作成した拡大写本にも予算が執行できるような形にしておくべきである。
 もっとも文部科学省は、一般校に通う弱視児について「地方自治体が判断したことであり、国として統合教育を認めているわけではない。」という見解である。しかし、現実は視覚障害に限らず、多くの障害児が特殊学校ではなく、地域の一般校に通っている。その背景や理由、保護者の心情等を認識し、国としての支援のあり方を一日も早く検討してほしいものである。また、文部科学省は盲学校の地域での「センター化」という方針を出しながら、児童・生徒の存在は認めないというのも矛盾しているように思える。

 (3)データ共有による効率的な作成方法
 拡大教材作成方法の改善については、現状の供給体制を教科書出版社に知ってもらうことから始めなければならない。別の出版社が作成する場合でもボランティアの方が作成する場合でも、教科書出版社が早期に原本及びデータを共有してくれることで、時間の短縮及び費用の軽減を計ることができるのである。
この協力体制を構築するためには、出版社に理解してもらうと同時に文部科学省等の行政からもルール化に向けて支援してもらわなければ早期に全ての教科書出版社が足並みを揃えるのは難しいと思われる。


4.バリアフリー教科書を目指しての長期的展望
 情報処理技術が更に急速に進展することが予想される。今日でも既にオンデマンド方式の出版(一人一人の見え方に合わせて文字サイズやフォントを変えて印刷する方法)が一般書籍においては可能になっている。教科書は一般書籍よりはレイアウトが複雑であるが、技術の進歩と共に、教科書のレイアウトの書式にデータを差し込み、一人一人のニーズに応じた教科書印刷が可能になる日も遠くないだろう。
  2001年6月に「二人五脚」という本が5媒体で出版された。一般の本に加え、音訳版、点字版、大活字版、マルチメディアデイジー版で、バリアフリー出版と呼ばれ、話題となった。教科書にもこのような最新技術を用いて全ての子供達が平等に学習できる環境を整えてもらえることを希望する。
  その進歩に対応していく基盤を作るために、今こそ著作権問題を解決し、且つ電子データを共有できるシステムを構築する必要がある。


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